しいたかブログ

雑文を書き溜めてます

『ライプニッツ』

 f:id:siitaka0922:20180128221252j:plain

副題に興味をひかれて読んだのだけど、その副題となっている問いへの応答部分が納得できず。

 〈自分〉が唯一であるとは、唯一であることに気づいている限りにおいてである。「気づく」というのは曖昧だから、やはり「考える」に置き直せば、自分が世界に唯一人しかいないこと、そしてその意味を考えている限りで、〈自分〉は唯一の存在である。

 そして、唯一であることを考えた結果、その考えた内容が、そのつど〈自分〉の中に組み込まれて、〈自分〉の唯一性を考え直すことになり、新たな唯一性が成立する。唯一性とは常に生成する限りでのみ唯一性を保持できるものである。同じことになるが、〈自分〉とは常に新しい〈自分〉に変化し続ける限り、同じ〈自分〉であるような、不思議な存在者なのである。*1

副題に対する本書の応答は、「私は、私が世界に一人しかいないと考えるから、世界で唯一の存在だ」である。

なぜこの応答に納得できないのかというと、この「世界」の中の「私」の唯一性という問題、つまり他者との交換が不可能な「私」という存在とは何なのかという問題が、「私がそう思うからそうなんだ」という自己完結的・独我的な「世界」の問題として回収されてしまっているから。

簡潔に言えば、この思想は「世界」(の中の「私」)を問題としているのに、他者が全く見えないという点で理解ができない。

 

僕自身が考えている(というか、支持している)「私」の唯一性に対する応答は、ここで記した考え方とはだいぶ違うのだけど、それはまた今度機会があれば書きます。

普段まったく頭を使わなくなってしまったから、これを書くだけでも疲れた。

*1:山内志朗ライプニッツ なぜ私は世界にひとりしかいないのか』(NHK出版、2003.1)、P101