読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

しいたかのブログ

文章の練習、その他いろいろ

東日本大震災から6年

日記

f:id:siitaka0922:20170311230939j:plain

僕が東日本大震災のことを考えるとき、しばしば思い出される文章3つ。 

村上春樹村上さんのところ』(新潮社)

原発NO!」に疑問を持っています、という読者からの投稿。

その内容は、「たくさんの問題を抱える現代社会の中から、一つ原発問題だけを取り出して『これはNO!』と声高に叫ぶことに疑問を感じる。例えば、車の事故では毎年5,000人近くが亡くなっているが、こちらのほうがよほど身に迫る危険だといえるのではないか」という質問。

これに対する 村上春樹の答えは、「原発事故によって、たくさんの人が故郷から強制退去させられて、見知らぬ土地に暮らすことになった。もしあなたが突然『明日から家を捨ててよそに移ってください』と言われたらどうするか。原発を認めるか認めないかというのは、国家の基幹と人間性の尊厳に関わる問題。交通事故のような単発性の問題とは少し話が違う」というもの。

 

東浩紀原発は倫理的存在か」

また原発関係で、これはインターネット上に公開されている文章(

原発は倫理的存在か(東浩紀)|ポリタス 原発“新設”の是非)。

現在、使用済み核燃料の処理技術は確立されていないため、長期間(10万年)これを保管して危険が減衰するのを待つか、後世の技術開発に期待するしかない。

いずれにせよ、今ここで処理できないものを、いつか誰かが何とかしてくれるという他人任せの態度の上で、原発は成立している。ゆえに、原発は反倫理的な存在といえる。

しかし、それは原発の即時停止や全廃を意味するものではない。なぜなら、倫理に反する決定が、別の論理に基づいて支持されることがあるからである。それは例えば、戦争時の殺人や、地球の裏側で飢餓に苦しむ子供がいる一方で、我々が日々膨大な食糧と資金を浪費しているように。

それでは、反倫理的な存在である原発を支える論理とは何か。

 

➂金菱清『震災学入門――死生観からの社会構想』(ちくま新書

津波で夫を亡くした女性が、震災直後に心の無料相談ボランティアの広告を見つけたが、すぐにカウンセリングに行ける状態ではなかったため、その切れ端を大事にとっておいた。その後、ようやく外に行けるような段階となり、切れ端に載っている電話番号にかけてみると、すでに不通となっていた。支援とそれを受ける被災者のニーズがずれてしまっているという現実がそこにはあった」というエピソード。

同じ本からもう一つ、「個人個人が癒されれば集団も回復すると私たちは考えがちだが、心のケアで重要なのは、被災地のコミュニティの互助機能を回復させること」というもの。

 

 

J-WAVEのJAM THE WORLDというラジオ番組は、被災地のことを積極的に取り上げてくれるから結構頻繁に聞いているんだけど、そういうのを聞いたりして震災について考えるとき、この3つの文章は特に思い出すことが多い。

今年に入ってから、原発避難者へのいじめがニュースで大々的に取り上げられることが増えてきた気がする。最近はそのことが気になっていて、そういうニュースを聞くたびにとても気が塞ぐ。