しいたかのブログ

雑文を書き溜めてます

仕事の話

この間の日曜日、後輩の修論提出の慰労会ということで、その後輩と大学の同期2人の4人で国分寺で飲んできた。

それでまぁ色々な話をしてきたのだけど、そこで一番驚いたのは、一緒に飲んでいた同期の一人(僕と同じ業界で働いている)が来春から転職してまったく別業種で働くという話。

とても温厚で人当たりがよい友人で、そういう意味では僕たちの今いる業界にはすごく向いていると思うのだけど、今後の人生のことを考えたら時間的な制約の大きいこの業界にはいられないとのことだった。

僕の業界はたしかに特殊で、平日の勤務時間外はおろか休日すら束縛されることは当たり前で、あらゆる部分で労働基準なんて形骸化された世界になっている。法律で定められた働き方と現場での働き方が昔からねじれたまま放置されてきて、そのねじれのしわ寄せがきているのが今の僕たち。

労働に人生の生きがいを見出すのは良いことだけど(僕はそこにあまり重きを置きたくないけど)、労働はあくまで生活の中の一つの側面。

仕事=人生という思考に陥ると、仕事の行き詰まりが人生の行き詰まりにすり替わり、人生を生きづらくさせる。

本来であれば生活というものの中には食事を楽しんだり、散歩をしたり、カフェで一息ついたり、休日には映画を観たり、テニスを楽しんだりというふうに様々な側面があり、僕たちにはそれらをある程度選択的に享受できる自由があるはず。

でも、僕の業界はそういうところのつり合い(いわゆるワークライフバランス)が完全に崩壊しているおかしさがあり、かといってその「おかしさ」についていけないと「アイツは仕事ができない・やる気がない」というレッテルを貼られる。そして誰だってそんなレッテルを貼られたくないから、現状のおかしさを受け入れてしまっている。

今これを書きながら、フロイトが何かの件で「大多数の人間は正常なのではなく、同じ方向に狂っているだけだ」というようなことを言っていたのを思い出した。

 

この2日間、とある事情で仕事を休んでいたのだけど、読書をしたり料理をしたりして精神的な健康を取り戻した。一週間のなかにはこういう日があたり前のように存在しないといけない。

デザイン性と実用性

部屋の模様替えも兼ねてソファを買いたいと思い、ここ最近暇なときにネットでソファ探しをしている。そこで問題となるのが、デザイン性と実用性の問題。

体を投げ出してリラックスできる座り心地の良さとか、昼寝ができるかどうかとか、実家のソファは皮製だったから布製がいいなとか、大きな買い物だから実用性は絶対に考慮しないといけない。

でも、ソファは部屋の中心的な家具だからこそデザイン性も求めたい。多少ソファの実用性を犠牲にしてでも自分の欲しいデザインの家具を部屋に置くことができると、それはそれで部屋の居心地はグッと良くなる。たとえ寝っ転がることができなくても、お洒落なソファがあたえてくれる安らぎがある。

カリモクのグリーンのKチェアには昔からちょっとした憧れがある。あの深みのあるグリーンのソファってカリモク以外にはない気がする。木製のフレームもお洒落だし。ただあれは昼寝ができるようなタイプのソファではないのが少し難点。家で仕事や読書をしているときに疲れたらソファでひと眠り、っていうのができないのがちょっとなぁ。

『ライプニッツ』

 f:id:siitaka0922:20180128221252j:plain

副題に興味をひかれて読んだのだけど、その副題となっている問いへの応答部分が納得できず。

 〈自分〉が唯一であるとは、唯一であることに気づいている限りにおいてである。「気づく」というのは曖昧だから、やはり「考える」に置き直せば、自分が世界に唯一人しかいないこと、そしてその意味を考えている限りで、〈自分〉は唯一の存在である。

 そして、唯一であることを考えた結果、その考えた内容が、そのつど〈自分〉の中に組み込まれて、〈自分〉の唯一性を考え直すことになり、新たな唯一性が成立する。唯一性とは常に生成する限りでのみ唯一性を保持できるものである。同じことになるが、〈自分〉とは常に新しい〈自分〉に変化し続ける限り、同じ〈自分〉であるような、不思議な存在者なのである。*1

副題に対する本書の応答は、「私は、私が世界に一人しかいないと考えるから、世界で唯一の存在だ」である。

なぜこの応答に納得できないのかというと、この「世界」の中の「私」の唯一性という問題、つまり他者との交換が不可能な「私」という存在とは何なのかという問題が、「私がそう思うからそうなんだ」という自己完結的・独我的な「世界」の問題として回収されてしまっているから。

簡潔に言えば、この思想は「世界」(の中の「私」)を問題としているのに、他者が全く見えないという点で理解ができない。

 

僕自身が考えている(というか、支持している)「私」の唯一性に対する応答は、ここで記した考え方とはだいぶ違うのだけど、それはまた今度機会があれば書きます。

普段まったく頭を使わなくなってしまったから、これを書くだけでも疲れた。

*1:山内志朗ライプニッツ なぜ私は世界にひとりしかいないのか』(NHK出版、2003.1)、P101